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「愛と祈りのことば」を読んで その3

真の謙遜さを持つことは

年齢を重ねるにつれどんどん難しくなってくるような

気がするんですyo





もともと他の人より上に立つことを

世の中は奨励しているので

謙遜さとは真逆の特質を

周りの環境によっても知らずに

培っていることがあるような気がします…。



あからさまな傲慢な態度は取らないとしても

社会でうまくやっていくために

見せかけの謙遜さ

を装ってしまう場合もあります。



CIMG1286.jpg




今日はこんなマザーテレサのことばを

ご紹介できたらと思いました。。。




よろしければお付き合いくだいね…。



もしも私たちが謙遜ならば、

ほめられようと、けなされようと、

私たちは気にしません。

もし誰かが非難しても、

がっかりすることはありません。

反対に、だれかがほめてくれたとしても、

それで自分が偉くなったように

思うこともありません。






謙遜な人は,自分を正直かつ客観的に見ようとしますね。

傲慢な人は、他人も自分も裁きがちです。

これは私自身にとてもよく当てはまります。

自分自身のプライド故に

他人からの評価が気になり過ぎるのです。。。


でも、真に謙遜な人は

他の人の評価を過度に気にすることはありませんね。



ある文献には、謙遜さについて

誇りや尊大さのないこと; へりくだった思い。

それは弱さではなく,神を喜ばせる思いの状態です


と書かれていました。


また

イエスは

自分が裁かれないために,人を裁くのをやめなさい

と言われましたね。



真の謙遜さがあれば

他人の、あるいは自分の粗ををいつも探すような、

厳しい批判家にならずにすみます。


他の人を非難することがなければ

きっと自分自身

他人からの批判も気にならないはずだと思います。




またマザーはこうも言っています。

私は、親切にし過ぎて間違いを犯すことの方が、

親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです。

もし過ちを犯すとしたら、

愛が原因で間違った方がいいと思っています





つい傲慢さや自分のプライドのために

本来、愛を示さなければならない場面で

尻込みしてしまいがちなんですが


そうではなく、

愛の気持ちから犯す間違いは

むしろ積極的に行うぐらいで

ちょうどいいのかもしれないなぁ

と思います。





自分の間違ったプライドのために

愛を差し控えないようにしたい

と思いました




マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)



今日も最後まで読んでくださって本当にありがとう     by ankorinn

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