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「愛と祈りのことば」 その2

寛大さ


大切な特質だと思います・・・

特に今

自分さえよければいいという風潮が

しっかり人々の心に根づいてしまっているので

自分自身で心がけていないと

うっかり世の風潮に流されそうになります。



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寛大さの意味はある文献によると


物惜しみせずに気前よく快く与えることによって

進んで他の人を祝福する,

あの思いやりのある高潔な態度。




とありました。




今日は、「愛と祈りのことば」から

この『寛大さ』に関する

よかったなぁと思う部分をご紹介したいと思います。。。

もしよろしければお付き合いくださいませ…。



ある夜のこと、一人の男性が訪ねてきて、

「八人の子持ちのヒンズー教徒の家族が、

このところ何も食べていません。

食べるものがないのです」と告げてくれました。

 そこで私は、一食に十分なお米を持って

その家に行きました。

そこには、目だけが飛び出している子供たちの

飢えた顔があり、

その顔がすべてを物語っていました。


 母親は私からお米を受け取ると、

それを半分に分けて、家から出ていきました。

しばらくして戻ってきたので、

「どこへ行っていたのですか、何をしてきたのですか」

と尋ねました。

「彼らもお腹をすかしているのです」

という答えが返ってきました。


「彼ら」というのは、

隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことで、

そこにも同じく八人の子供がおり、

やはり食べるものがなかったのでした。


 この母親はそのことを知っていて、

わずかの米の一部を他人と分け合う

愛と勇気を発揮したのでした。

自分の家族が置かれている状況にもかかわらず、

私が持って行ったわずかの米を

隣人と分け合うことの喜びを感じていたのです。






ここで私が注目したのは、

マザーテレサはご存じのとおり、

クリスチャンなのですが

彼女は宗派には関係なく

ヒンズー教徒に食事を分け与えています。

そして、その飢えたヒンズー教徒の母親は

なんとイスラム教徒の隣人と

わずかな食べ物を分け合っている

ということでした・・・。



わたしはこの部分を読んで

隣人愛を示したサマリア人のことを

思い起こしました。




イエスの話に出てくる『隣人愛を示したサマリア人』

では、同国の本来助けなければならない人が

その傷ついた人を無視し

イスラエル人からさげすまれていたサマリア人が

彼を手厚く介抱して親切を示したという話があります。




宗派に関係なく

自分たち自身も大変な窮乏なのに

恐れず他の人と分け合う…


真の寛大さだな…

と思いました。

その人は自分の余っている中からではなくて

持っているすべてを

他の人と分け合ったのですね…。



もし私が同じ状況であったなら

同じことが行えただろうか…


疑問です…




聖書の箴言ではこう述べられていました…


「寛大な魂[字義,祝福の贈り物を持つ魂]は自分も肥え[繁栄し],

他の者に惜しみなく水を注ぐ者は,

自分もまた惜しみなく水を注がれる」。
(箴 11:25)


イエス・キリストはそのことを,

「受けるより与えるほうが幸福である」と表現しています。(使徒 20:35)





わずかな食物を分け合ったそのヒンズー教徒の母親は

きっと食べ物には代え難い

大きな喜びを得ていたに違いない…

と私は思うのです。。。



マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)


今日も最後まで読んでくださって本当にありがとうございます  byankorinn
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