「置かれた場所で咲きなさい」を読んで
著者の渡辺和子さんは、ノートルダム清心学園の理事長をされています。
修道女の方でいらっしゃいます。
36歳の若さで大学の学長に任命されて、いきなりのこともあり、様々な葛藤や感情が心に入り乱れたそうです。
修道女の方であっても、一般の私たちと同じ、怒りや憤りといった感情を抱かれたようです。
でもそのような感情とどのように向き合われたかを、正直に書いてくださっているので、
私たちが日々遭遇するような、感情の乱れに対する取り組み方において、学べる点がたくさんあります。

渡辺さんが学長になった当初、それまでの学長の約半分ほどの年齢の渡辺さんに対して
周りの人たちの態度は、当然風当たりの強いものでした。
いつの間にか渡辺さんは、「くれない族」になっておられたそうです。
「くれない族」とは、「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」
というものです。
そのように、渡辺さんが自信喪失しているとき、一人の宣教師が一つの短い詩を、渡辺さんに渡してくれました。
その詩の冒頭の一行に、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があり、その詩、その言葉を渡辺さんは
ご自分で解釈されて、その結果、ご自分が変わろうと決心されたそうです。
その解釈というのは、
それは、「私が変わる」ことによってのみ可能であるというものでした。
自分からあいさつし、ほほえみかけ、お礼を言うことによって、周りの教職員や学生たちの態度にも、変化があったようです。
そうして、
どんな状況であっても、「こんなはずじゃなかった」と思えるような時でも、
「時間の使い方はそのまま、いのちの使い方なのだ」ということを忘れずに
「咲く」努力をする心を忘れずに、自分に与えられた状況、立場をありがたく
花のように精いっぱい生きましょう…
というように、考え方が変わったそうです。
あんこりんも、「なんで私だけこんな目に」とか、「こんなこと全然望んでいなかったのに」というように
自分の置かれている状況を恨んだり、他の人のせいにしたりしていました。
でも、この本を読んで、
そうだ、泣いても、嘆いても、人のせいにしても、状況は変わらない。
変えられるのは、自分の考え方だけだと気付きました。
社会で働いていると、いろんな人がいます。
本当に色々な人がいます。
傷つけられること、軽々しく扱われること、腹立たしいこと日常茶飯事です。
でも、どんな状況であっても、自分の心を正しく持って「咲く」努力をしたいと思います。
どうしても今「咲けない」という時には、無理に咲けなくても、いつかきっと美しく咲けるように
そのときまで、しっかりと下に根を張って、十分力を蓄えます。
今すぐに目に見えた成果はなくても、見えない部分では確実に「咲く」準備が進んでいるのです。
置かれた場所で咲きなさい
今日も最後まで読んでくださってありがとう
by ankorin
修道女の方でいらっしゃいます。
36歳の若さで大学の学長に任命されて、いきなりのこともあり、様々な葛藤や感情が心に入り乱れたそうです。
修道女の方であっても、一般の私たちと同じ、怒りや憤りといった感情を抱かれたようです。
でもそのような感情とどのように向き合われたかを、正直に書いてくださっているので、
私たちが日々遭遇するような、感情の乱れに対する取り組み方において、学べる点がたくさんあります。

渡辺さんが学長になった当初、それまでの学長の約半分ほどの年齢の渡辺さんに対して
周りの人たちの態度は、当然風当たりの強いものでした。
いつの間にか渡辺さんは、「くれない族」になっておられたそうです。
「くれない族」とは、「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」
というものです。
そのように、渡辺さんが自信喪失しているとき、一人の宣教師が一つの短い詩を、渡辺さんに渡してくれました。
その詩の冒頭の一行に、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があり、その詩、その言葉を渡辺さんは
ご自分で解釈されて、その結果、ご自分が変わろうと決心されたそうです。
その解釈というのは、
置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり、不幸せになったりしては、自分は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからにはどんな所に置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせようと、決心する。
それは、「私が変わる」ことによってのみ可能であるというものでした。
自分からあいさつし、ほほえみかけ、お礼を言うことによって、周りの教職員や学生たちの態度にも、変化があったようです。
そうして、
どんな状況であっても、「こんなはずじゃなかった」と思えるような時でも、
「時間の使い方はそのまま、いのちの使い方なのだ」ということを忘れずに
「咲く」努力をする心を忘れずに、自分に与えられた状況、立場をありがたく
花のように精いっぱい生きましょう…
というように、考え方が変わったそうです。
あんこりんも、「なんで私だけこんな目に」とか、「こんなこと全然望んでいなかったのに」というように
自分の置かれている状況を恨んだり、他の人のせいにしたりしていました。
でも、この本を読んで、
そうだ、泣いても、嘆いても、人のせいにしても、状況は変わらない。
変えられるのは、自分の考え方だけだと気付きました。
社会で働いていると、いろんな人がいます。
本当に色々な人がいます。
傷つけられること、軽々しく扱われること、腹立たしいこと日常茶飯事です。
でも、どんな状況であっても、自分の心を正しく持って「咲く」努力をしたいと思います。
どうしても今「咲けない」という時には、無理に咲けなくても、いつかきっと美しく咲けるように
そのときまで、しっかりと下に根を張って、十分力を蓄えます。
今すぐに目に見えた成果はなくても、見えない部分では確実に「咲く」準備が進んでいるのです。
置かれた場所で咲きなさい
今日も最後まで読んでくださってありがとう


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